わたし、生きていてもいいのかしら?

わたしのこと
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私、社会の役に立っていないから、生きていてもいいのかしら?と悩んでしまいます。

「生きているだけで尊い」という言葉を聞くけれど、何も役に立てていないという負い目を感じるのです。

ある方の言葉を借りれば、こういう考え方は「物質主義的価値観」ということになるのでしょう。

とても、狭い考え方のようです。

 

さて、社会の役に立つというのは、どういうことを云うのでしょうか?

  • 働く
  • 納税する
  • 社会貢献をする
  • 人助けをする
  • 家庭を支える

大雑把に書くと、こんな感じでしょうか?

 

私は働いていないことが、一番の負い目です。

でも、働くことが難しい状況。

だから、内職を勧められたことがあります。

でも、納期を考えながらペース配分しなければならないことがプレッシャーで、相談には行っていません。

 

それ以前に、私はわたしの存在をきちんと受け止められていません。

アダルトチルドレンっぽくて、自己肯定感がとても低いです。

子どもの頃から、私が存在することが周りの迷惑になっている…という思いを抱えてきました。

 

それが、50歳を超えてもなお、引きずっているのです。

未だに、心が癒えていません。

どう癒やしたらいいのやら?と困惑していますよ。

だから、「生きていてもいいのかしら?」と悩んでしまいます。

 

そうそう、私は時折心理カウンセリングを受けに行っています。

おととしは、2ヶ月に一度。

去年は、4月と12月に1度ずつ。

今年も、4月に1度行きました。

なんとか、お金の工面ができそうなので、先日ようやく、12月に予約を入れたばかり。

次回のカウンセリングでは、「生きていることがつらい」と云うことと、「こんなわたしが、生きていてもいいのか?」という内容で、相談してこようかしらね。

 

予約は、12月の前半。

あと半月ちょっとです。

それまで、なんとか生き延びなくては…。

 

もし、これを読んでいるあなたが、私のように「生きていていいのかしら?」と悩まれていたら、心理カウンセリングを受けてみるといいですよ。

少しは、心が軽くなりますから。

では、お粗末様でした。

 

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琴子

琴子

生きているのがつらい日々。それでも、書くことが生きる力になると信じて、ブログを始めました。

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琴子

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「わたし、生きていてもいいのかしら?」と悩むほど、生きることが苦しいです。 人生に未練たらたらなのに…。 何者にもなれないけれど、生きた証を綴っていきます。 書くことが、生きる力になると信じて…。

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